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スタッフ便り
・・・・最近のあれこれ・・・・
by T.S


  「ゴティプア・ラージャスターン舞踊団」

 ゴティプア舞踊団は長岡の学校ワークショップや佐渡でのワークショップと公演、福岡のアジアマンス、東京でのナマステ・インディア2004、千葉・浦安公演など日本各地をあわただしく動き、アジアマンスの時にはラージャスターン舞踊団が新たに男8人、女4人の計12人が合流した。彼らもゴティプア舞踊団と一緒に東京、横浜等を回った。
 ワルリー画のサダシさんとゴルカナさんもアジアマンスなど、ゴティプア・ラージャスターン舞踊公演についていって公開制作し、また東京のナマステ・インディアでは公開制作やワルリー画教室を開催した。福岡のアジアマンスではアジア美術館にワルリー画が展示されているためか、ワルリー画やミティラー画を知っている方が多く、連日公開制作を見に来る人が絶えなかった。
 10月23日、新潟の中越地震が起きた時、ゴティプア・ラージャスターン舞踊団と急遽23日に新幹線で来ることになったゴルカナさんは横浜・山下公園で行なわれたディワリ・フェスティバルに参加していた。地震は友人から来た電話で知った。館長たちはその日の夜中に大池へと向かった。我々は24日のディワリ・フェスティバルをこなして、美術館に帰る予定だったが、地震のため行くことができないため、東北道、盤越道経由で新潟の亀田に住んでいるスタッフの家に24人で押しかけ泊まらせてもらう。その後、1軒の家を借りることができたので、分散して滞在した。ここで2、3日泊まらせてもらった。聖籠町の学校ワークショップをやってから、群馬や東京で公演を行ない31日ラージャスターン舞踊団は地震後一度も美術館へは戻らず、成田から無事帰国した。ゴティプア舞踊団は31日ラージャスターンが帰国した後、大池へ向かって出発した。
 大池に行く普段よく使っていた道は現在通行止めになっていて、赤倉の方へ行く道から回って行っている。ゴティプアの人たちが住んでいた教員住宅の1階は部屋の壁等が落ちているし、玄関の戸も外れ台所の流し台の下の壁がやはり落ち、でかい風穴が開いている。彼らの荷物も瓦礫の下に埋まってしまっていて、彼らがそこから救出して宿舎に運んでいった。彼らは比較的無事だったラージャスターン舞踊団が泊まっていたワルリーハウスに泊まることになっていた。私が住んでいた教員住宅の2階は全部屋、特に壁が落ちているということもなく、少し掃除をすれば住むことはできた。といっても寝るだけしかできないが。台所も水は一応出るが風呂場も全て瓦礫で埋まっているので。ゴティプア舞踊団は11月1日の中里村の小学校でのワークショップは会場の体育館が避難場所に、また2日の十日町公演予定の情報館は誤作動でスプリンクラーから大量の水が降り何万冊の本が水浸しになったので、中止になった。急遽4日にミティラー美術館復興支援公演として多くの方々の迅速な協力のおかげで横浜のスペース・オルタで行ない、5日に成田から無事帰国。
 現在、大池にはワルリーのゴルカナさんとサダシさんが今もワルリーハウスで暮らしている。美術館の復旧作業を手伝いながら、その合間に体育館を掃除して作ったスペースで絵を描いている。ゴルカナさんの7月から描いている大作(お米を何千粒も描く新作)が完成間近である。サダシさんとゴルカナさんも今月末に帰国予定である。
 事務室の壁も一部崩れ風穴が開いていて、窓を閉めても関係なく風が入り込んでくる。先日の強風の時には風が事務室の土壁にぶつかるたびに、その土がぱらぱらと瓦礫を取り除いた事務室内に落ちてくる。美術館の復旧はまだまだ先になりそうだが、大池には早くも釣り人たちが毎日来ている。周りの木々も紅葉し、いよいよ冬支度である。




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