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大池ホット通信

vol.2
ユンボ君の活躍

2006.2.18 up



 最も多い時で4m35cm(1月12日)を記録したこの年の記録的豪雪は、私たちをがんじがらめにするには十分すぎる程の影響力を持っていました。まるで巨大な岩塊と言わんばかりの雪が後ろから次から次へと転がり込んできて、私たちは脇見もせずただひたすら前に進まなければ押し潰されてしまう。つまりそれは、この雪深い森の中で生きていく為に、殆ど一日も休む事もなく雪掘りをしなければならないという現実でした。震災復興中である美術館には館長を含め4名のスタッフがいますが、雪掘り隊は館長と若手Mnの2名のみ。そこへ作品復興の為に来日しているワルリー画の描き手サダシさんとゴルカナさん、テラコッタ陶工のララさんの3名が一緒に雪掘りをしてくださり、実質は5名の隊員での雪掘りでした(助っ人として大池へ来た私Rは短い期間だけでしたので人数には入れません…)。
 美術館となっている廃校になった大池小学校の大きな建物と、6棟の家の雪掘りを4名の人力で行うには限界があります。それは一通りの雪掘りを終える前に、初めに終えた建物には次の雪掘りを開始しなければならない程の雪が積もってしまうからです。雪が降っては止みを繰り返している為積雪としては4m35cm止まりでしたが、現実的には2月中旬の時点で美術館で5回、他の6棟の家で7回の雪掘りをした程に雪は降っているのです!その雪掘りで私たちを多いに助けてくれたのが美術館の期待の星?!ユンボ君なのです。
 ユンボ君の愛称で皆から期待されている、美術館のコンマ4のバックホー(油圧ショベル)は推定100才を超えるおじいさん。10年以上も前に美術館に来た時既にいいお年でしたが、今まで館長の奇想天外な発想の元に様々な場面で活躍し、時に人を助けた事もあるユンボ君なのです。一昨年の中越大震災の後も、震災で大きく崩れた道の補強に始まり、美術館の柱の修復、家の土台直し、19年ぶりの大雪の中での雪掘り、そして最も過酷な大雪の中での水道復旧作業に於いても、時に危険な思いをしながらもフルパワーで力になってくれていました。そんなユンボ君がこの冬は本当に頼りにされていました。
 ユンボ君は12月の1度目の雪掘りの後から本格的に始動しました。1メートル以上も屋根に積った雪を下ろしていくと、次第に雪は行き場を失い下ろす事が出来なくなってしまいます。そこでユンボ君がショベルで屋根の軒の雪を潰したり退かしたりをするのですが、同時に自らの足場も作らなければならず、あちらへ「ズズッ」こちらへ「ズズズッ」という具合で少しずつ重たい体を動かしながら屋根の近く迄進んで行きます。そして自分のアームの届く範囲で屋根の雪まで下ろしてしまうのです。特に美術館の体育館でのそれは圧巻!「グワッ」と「スー」を繰り返しみるみる内に広い体育館の半分近くまで下ろしてしまうのです。勢い余って屋根に「穴」なるものをあけてしまう事も…極稀にあるにはあるのですけれど、そこは一つ日頃の活躍に免じて…とも言えない辛いところ(屋根の修理も大変なのです)。しかしながら「わしはまだまだ現役だぞ」という感じで、「ほれ、そこの雪を早く下ろしゃっしゃい!」なんて私たちに催促をすることもあります。ユンボ君にはとてもかないません。そんな彼も時には本当に辛い時があるようです。彼の苦手なポイントとして代表されるのがインドのアーティストの方々が泊まっている元教員住宅への道のり。脇が崖になっている細い坂道をあがっていかねばならず、2メートル近く積った柔らかい雪を少しずつ崖に落としたり踏み固めたりしながら、上っては下がり上がっては下がりを繰り返しながら上って行きます。彼のキャタピラは上りには強いけれどスキーのように横滑りをしやすいので、大きな体を崖へ落ちないようにと濛々と凄まじい黒煙を吐き出しながら踏ん張っています。不安定に動いて進むさまに見ているこちらは心配でたまりません。
 そして、雪が降りしきり雪掘りの回数が増えるのに比例してユンボ君の仕事は更に多くなります。それは、雪掘りをする前から屋根と雪とがほぼ同じ高さであったり、場所によっては初めから屋根よりも高かったりする為です。私たち人力隊も出来るだけユンボ君の手を煩わさないように、屋根の流れに沿って下へ落として行くのではなく、屋根の妻端、つまり「への字」面の高い部分から雪を落とすようにしたり、屋根から下りて雪を遠くへ運んで行ったりしてはいるのですが、それには時間的限界があります。屋根の上での4人と館長の乗るユンボ君とで助け合いながら少しでも早く雪掘りを進めなければ、雪掘りが間に合わなくなってしまうからです。そしておじいさんユンボ君が少々無理をすれば…キャタピラが外れ、総出で深夜にまで及ぶ修理が始まります。たとえそこで雪が降っていようとも、みんなの手足が冷えきろうとも、何としても修理しなければ!こうして、何度も危機にさらされたユンボ君もその度になんとか持ち越して、私たちとともに頑張ってくれています。
 しかし正直に言いますと、彼は見た目もボロボロと言っても過言ではないおじいさんです。オレンジ色のボディー故目立ちにくいとはいえ、全身に錆びや大きな剥げが見られ、廃棄マフラーも何度も自分たちで直した手作りでお世辞にもまともとは言えません。正面の窓ガラスはあるけれど、ワイパーは動かない状態で、それにたとえワイパーがあったとしも作業の時は天井にスライドさせてどかし、直接見られるようにしています。なぜなら一歩間違えれば破壊に繋がるからです。長老のユンボ君と意思疎通をはかり事故を防ぐ為に、運転手の館長はどんなに寒く吹雪いていても作業中はその窓を開け放しています。そのため、容赦なく雪が積もる足を守ろうと足にビニールや布をかけたり、ユンボ君のためにはスイッチの当りに青くて古い作業服をかけたりするのです。しかしそういった処置をしてみてもユンボ君も運転手も外と全く同じ空気の中で作業を強いられています。また扉はグラスファイバーの断熱材やガムテープで補強されている。アームも何度も動かなくなり、バケットには大きな爪が一本しかついていない。キャタピラには外れないように鉄板が溶接してあるはずなのに簡単に外れてしまうし、一度外れたキャタピラはその溶接がかえって邪魔をして容易ではない。それでいてご飯だけはばっちり人並み以上に食べるのです。また、原因不明の故障も多く過去何度もまとまった治療費がかかり、いつからかあまりの高さにアドバイスを受けながら極力自力で直すようになりました。そういう訳で美術館のユンボ君は本当にいつ倒れてもおかしくないおじいさんなのです。それでもこの冬、豪雪の中で早朝から夜遅く迄(車のライトを照明にしたり、懐中電灯を二頭針金で縛ってつけたりしながら)、痛い体にムチを打ちながら館長と共に協力してくれているのです。
 もしも描き手や陶工の彼らがいなかったなら。もしもユンボ君がぴくりともせず硬直してしまったなら。美術館が未だ復興していないこの状況下では、恐らく美術館の持つ何棟かはこの豪雪で潰れてしまっていたでしょう。インドのアーティスト達が新たなアートを生み出している空間や舞踊団や音楽家達が滞在する宿舎、彼らが「第2のインド〜!」と歌うように言う自然に囲まれたここ大池から彼らのスペースが失われてしまったのではないか…ついそんなことを考えてしまいます。雪に追われている時には必死で考えもしなかったけれど、それはあり得ない話ではなかったのです。今ミティラー美術館は色々な意味で私たちだけのものではなくなってきているように思います。だからこそ一日も早く復興しなければならないのだし、新しく動いていかなければならないのだと。恐らくそういった事をきっと誰よりも痛切に感じるが故に、人一倍踏ん張っているのは他でもない館長なのではないでしょうか。起きて目の開いている間はあらゆる事に神経を集中させており、誰よりも疲れている筈なのに、外から電話がかかってくると持ち前のユーモラスで、心配を示す相手に柔らかさというスパイスをつけてこの苦しい現状を伝えているのが聞こえてくるのです。きっとそういう人柄の館長と一緒だからこそ、この推定100才を超えるユンボ君は今尚美術館のホープとして、絶えない故障や不具合にも負けず活躍してくれているのかもしれないと思えてなりません。今年こそ私たちは感謝の意を表し、彼の長いアームに名誉ある勲章を捧げるべきでしょう!(byR.H)



[アルバム]

美術館体育館の屋根もこの通り!

慎重にバケットを入れて雪を引き落すぞぉ

動かない車の救出だってわしの仕事じゃ

日が暮れて視界が不自由でも運転手を信じてるよ

過酷な状況での作業でキャタピラに雪がこびりつき
動けなくなってしまう

動けなくなってしまった時には
みんな総出で救出してくれたなぁ

絶壁の崖すれすれでの作業はさすがに緊張


パワー全開の時はぐいっとアームが伸びるぞ

故障すると皆に迷惑かけてしまうんじゃ

からだの中もかなり年をとってしまったよ


民家の周辺は電線があるので細心の注意が必要


これくらいの段差でも苦しくて黒煙を吐いてしまう



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