今月の一作品

2004年9月

ドゥルガー

「ドゥルガー」
 シーター・デーヴィー
縦286.5センチ×横144.1センチ

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 ミティラー画がマドマニペインティングと呼ばれていた頃、1960年代後半から、この美術運動が村落から村落へ噂が広がり、参加する婦人たちが増えていった。しかし、それは三つのカースト(ブラーミン・モハパトラ、マイテル・ブラーミン、カーヤスタ)を中心として広がっていったもので、なおかつネパールを含むミティラー地方に点在するこれらのカーストのほんの一握りの人々が参加した。リキシャで行かなければならないような村落での状況、またインド政府手工芸局の限りある予算とニーズのほどよいバランスの上に成り立っていた。そうした中、未亡人のシーター・デーヴィーは高く評価され国立手工芸博物館の展示用壁面に描いたり、大きなホテルの「マドマニ・コーヒーショップ」と思ったが、そのような名前のレストランの壁面に高さ三メートルを超えるチップボードに描かれた彼女の作品群が飾られていた。インディラ・ガンジー首相官邸の壁にも絵が飾られていたと聞いている。また、彼女はその官邸にも数度、電話をかける度に招待されたと言っていた。
 階級外の人々からも、彼女から助けられたと聞いたことがある。気丈で皆から慕われる婦人。彼女のライオンの色がとても良いので、その色を塗っている息子、彼女は色を息子に塗らせている。彼の話によれば、ニューデリーのどこかの会場で色を塗っているとインドの有名なデザイナーが感心し、いくつかの色のアドバイスを受けたという。その通りにしてみると、とても良かったのでその色を使ってきたそうだ。
 ミティラー美術館には名古屋デザイン博の時に初めて来日し、この絵の他に、同じサイズの絵を三点描き、さらに大きなコンクリート擬似壁に「クリシュナとラーダー」(あまりに大きく収納する場がないので、常設展示してある)を描いた。帰国までに絵が終わりそうにないので、夜、電気を付けて描きたいと言って、目をこすりながら描いていた姿が今も記憶に残っている。孫たちに壁画を教えていたこともなぜか記憶に残る。
 今月、現地を訪れた「旅行人」の蔵前氏の話によるとシーター・デーヴィーは絵はもう描けないが健在とのこと。(何年も前から描けないと聞いていたが)長寿を全うしてもらいたいものだ。ミティラー画ではジャグダンバ・デーヴィーに続いてナショナル・アワードを受賞している。ミティラーの婦人らしい、やさしくて、気丈な心でなければ描けない絵を描く人だ。











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