1998.12.12

ワルリー画のふるさとをたずねて

1998年3月、ワルリー画の第一人者ジヴャ・ソーマ・マーシェ氏の住む村を訪れた時の記録です。

インド先住民族ワルリーと神々 蓮沼ミヨ子 (ミティラー美術館学芸員) 

 インドには500以上の先住民族が住んでいる。世界的に有名なワルリー画は、インド・マハーラーシュトラ州ターネ−県に居住するワルリーによって描かれたものである。ワルリー族はおよそ40万人、インド・アーリヤ系のマラーティ語に近いワルリー語を話す人たちである。彼らは農耕を主要な生業とし、賃労働やわずかばかりの狩猟、漁労によって暮らしを立てている。

 私たちがワルリーの村を訪れたのは、3月初旬であった。インド随一の商業都市ボンベイから北100キロのダヌーの町からオート力車で30分のところにあるワルリーの村が私たちの目的地であった。村に着いたのは夜8時を少しまわっていた。ダヌーの町の喧騒がワルリーの村に入ると嘘のようで、街灯やテレビの音などもなく、月明かりの中で私たちの話す声さえ真空に吸い込まれてしまいそうに感じられた。

 村人の案内で田んぼを通り抜けてようやくワルリー画の第一人者ジヴャ・ソーマ・マーシェさんの家にたどりついた。その日は総選挙の投票日で、家族みんながヤシ酒でお祝いをしていた。かなり良いご機嫌の家族一同に、私たちは少しハードな歓迎を受けた。ダヌーの町でワルリーの村と行き先を告げると「夜アディバシー(先住民族のこと)の村は危険だから」と言って断られ、なかなか力車が見つからなかったことが頭をよぎり、私たちもヤシ酒の入ったワルリーを前にして少し身を固くしてしまった。

 その夜、私たちが泊めてもらった部屋には土間にゴザが一枚だけ用意されていた。下から上がってくる冷気が身にしみて、持ってきた厚手の洋服を着こみ寝袋の中に頭からすっぽり入って少し暖まると、疲れもあってようやく眠りにつくことができた。しかしそんな夜でもワルリーの家族は、戸外にあるベランダのような外気の当たる場所に布を敷き、上からは薄い布を一枚かけて寝ているのだ。ジヴャさんの立派な家は、家族が寝泊りするのにそれほど必要ではないのかもしれないとの感じすら受けた。

 飲み水として昨年の雨期の雨水を貯めて少し黄ばみを帯びた水、身を隠すもののほとんどない中で人々の目を気にしながらトイレの場所探しなど、暮らしにおける私たちとの落差の大きさを感じた。ワルリーの村では、およそどの家にもほとんど家財道具といえるようなものは見当たらない。目につくのは、溜池から水を汲んでくる金属製の水壷や調理用の鍋などで、ベッドなどもなく実にシンプルな暮らし振りであった。

 この村に最初にワルリーが入ったのはジヴャさんの妻の実家にあたるパサーリーで、わずか三代ほど前とのこと。住みやすいという噂を聞きつけて徐々に他のワルリーたちも移り住むようになり、今では約70家族が住んでいる。またインド政府のよる先住民の保護政策も効を呈して、ワルリー族の定住が加速された。しかし簡単な家の作り、少ない家財道具、土地に対する執着心の薄さなど、随所に半定住・半移動的な暮らしの形跡が感じられた。

雨期の3カ月間を除いてほとんど雨が降らず、大地は乾燥し地割れをおこしている。広場として子供が遊んだり牛が放牧され、あるいは道路にしている場所が雨期には田んぼになる。灌漑施設のないワルリーは、雨期の3カ月間に4種類ほどの水稲と豆類などのわずかな野菜を栽培する。

2月頃から村人は時間の許す限り、牛糞と大きな籠をもって森に入り落ち葉を集める。それを田畑一面に敷き詰めて燃やして肥料としている。現在インドのどんな農村でも盛んに化学肥料が使われているが、ワルリーは昔ながらの方法を変えようとはしない。「肥料をやりすぎると大地の女神を傷つける。」

ワルリー族は、大地の女神と穀物の女神カンサーリを同一視し、家族の守り神として拝む。米をたたいて精米するとき、臼の役目をするのは土間に掘られた小さな穴で、そこは女神の宿る場とされている。神の宿る場は神聖とみなされ、足で触れないように気をつけなければならない。また米を炊いているときや米の粉で作ったチャパティを焼くときも焦がさないように気をつける。女神を粗末に扱ったとか、背中を焦がしたとして女神の怒りにふれることは、蓄えてある米がいつの間にか失われてしまうことになる。収穫した米を不注意から燃やしてしまったときなど、5年間にわたり大変な儀礼をして女神に許しを乞うという。

朝一番に落ち葉をジャングルからこうして何度も往復して運ぶ。このほか、井戸へ水を汲みにいくことも女性の大事な仕事とされている。とても力持ちで働き者の女性たち。

ワルリー族は、人間の欲望に対して「神々の怒りにふれる」という枠組みを用意している。雨期になると土手から流れてくる水を塞き止めて溜池を作り、網を仕掛けて魚を捕る。しかし家族のための適当な量の魚では満足できずに大量に捕ろうとすると、魚を守る霊ギラーの怒りにふれ、水の中でギラーに足を引っ張られて溺れてしまう。

ワルリーの暮らしは山々の森の恵みに支えられてきた。森に入って仕事をするときは、必ず森の霊ランブートに儀礼をしなくてはならない。森の木を切って木炭を作ったり蜂の巣を採ったりするとき、もし儀礼を怠るとランブートは怒って木炭が焼けないようにしたり、木からその人をつき落としたりする。ワルリー族にとって神や霊は、自然宇宙との共生のバランスを壊さないように監視する規範の体現者であり、もしバランスが壊れるとしたらそれは人間の側からなされるものと考えるのだ。今回の調査で、私たちは自然宇宙との共生をするワルリー族のコスモロジーが、ワルリー画の原点になっているとの思いを強くした。

中庭で制作するジヴャ氏。


目次へ〕〔ワルリー画について〕 
 (c) Copyright 1996/98 Mithila Museum. All rights reserved.